種智院大学へ行ってきました

第10回平安仏教学術大会が種智院大学で開催されました。毎年比叡山と交互で開催されています。関西大学の藤善真澄教授の基調講演の後を種智院大学の高橋・橋本・中村各先生と、比叡山の木村・高山・荒槙各先生の研究発表がありました。大勢の先生方が日夜ご研鑚である真摯な姿勢に胸を打たれるのですが、最後にご挨拶なさいました比叡山の坂本先生のお言葉が非常に印象的でした。「活かされる仏教でありたい」、正にその通で形骸化した仏教には何の魅力もないわけで、日常に生きて活かされる仏教でなければなりません。市民の足元に降りて来る仏の教えの布教伝道でありたいものです。困難な仏の教えを平易に説く研究も当然でありますが、人が生を受ければ必ず死を迎えるところの墓地墓石の研究を宗教大学で実践して頂けないものなのでしょうか、国民の密接した死の学問を葬式から仏壇墓地墓石法事に至る総合的終焉の学問の形成が待たれます。お墓が全く無視され続けている不思議を痛感しています。昨今では伝統の行事の意味を知らずに、単にお葬式やお墓を無用とする考えが文化人的と錯誤する人が増えています。人間は迎えて終わりではありません、「END」ではなくて「AND」の世界なのです。終わりのエンドではなくて続きのあるアンドの世界が続くのです。お墓は仏や先祖様のみを迎える器ではなくて私も子孫も使用する現世の浄土なのです。