2007-04-01から1ヶ月間の記事一覧

結婚式の写真がもう出来上がった。

妻の二人の姉が宿泊をして家に来た。息子も昨日は3次会まであって飲み過ぎた様子で起きてきた。新婦も実家からやって来て想い出に酔いしれた、二人が考えた式であったが大変良かった、口の重い大津の兄までがいたく感服していた。

息子の結婚式

山あり谷ありの二人の道筋であったが、何とか無事に結婚式が終わった。教会と言い宴会と言い息子のスピーチと言い皆様が良い結婚式だったとお褒めのお言葉を頂いて安心をした。今までの感慨深い想い出を回顧していると自然と涙が流れた。仲良く新居をスター…

抽選で墓地が当たる

民営の墓地は高額だし、公営の墓地は当たる事が困難だ。当たれば幸いであり早速墓地の図面に取り掛かった。分家初代で初めての建墓だけに子孫へ引き渡して行く為には間違いがあってはならない。猫の子をもらう様に安易に取り組む人が以外に多い。まして、お…

千の風になって

この歌が流行っている。死んだ人はお墓にはいないという内容だ。では、お墓に納めた亡き愛する人の亡骸は何なのか、そこに居るではないか。魂は仏国土へ、肉体は土へ還す行為が建墓供養なのに、この歌が流行る悪影響に眉をしかめている。

我が子を何故に実家の姓を継がすのか

一人娘であるが故に奥様の実家を継がす為に二人の子のうちの一人を養女に入れた。つまり我が娘と本人は姉妹関係になっている。結局、相続の重荷に耐え切れずに養女は家を守るに一生懸命で今でも独身の身となっている。それは不幸であって、同じ家の中に息子…

非公開寺院の拝観

新聞社主催の京都への小旅行の講師に呼ばれて一日案内を行った。21日は東寺の弘法市は予想を超える大勢の人ごみだった。長楽寺と隋心院でも春の特別公開中だけに熱心な文化財フアンは満足された様子だ。私の話す京都弁が大変聞き良いと言うお愛想を頂いた。

文化教室の開講

初めての地区での開講だけに参加者の少数が気になった。花や踊りや健康のための参加者は多いが、古代の礼法や作法の教室への参加がまだまだ少ない、団塊の世代として是非熟知して欲しい。今日から月一回で6回講義が始まった。

妻の実家を無視してはなりません

子供は両家の姓の合体で成り立っている、つまり両方の先祖を供養しなければならない立場にある。実際は妻側の供養がなされていない、理由として姓が違うとか家宗旨が違う理由らしい。姓が違っても宗旨が違っても両親の合体の結果として子供があるからには両…

妻の実家の両親をなぜ祀れないのか

妻の実家とは婚家の名前も違えば宗教も違う。人は真顔で実家の霊を迎え入れてはならないと言う。奥様を産んで育ててくれた両親を「迎え入れるなと」は何とおぞましい考えなのだろうか。夫婦の間に生まれた我が子には婚家の因縁と実家の因縁が混在している、…

文化教室の開講

今日から10月までの作法の講座が開始された。神棚や仏壇や墓石の常識をご存知か。気になる分野でありながら知識不足になりがちの所を素人の考えが誤って伝播されてしまう。口から口へと無責任な思想が一人歩きしている事を憂う。

他流派の先生が訪問

40年来の付き合いで青春時代の基礎となった先生が突然の訪問。益々のご活躍をお聞きし共に頑張って行く覚悟も出来た。初めて落語の高座として登壇したきっかけもこの先生によってだ。いかなる場面でも話をする事が出来るようになった。

見事な花見が出来た

毎年恒例の全国巡教の墓塔学ゼミを本年は中止した為に妻と花見へ出掛けられた。JRの新駅名が『さくら夙川』と命名されるだけに満開の花見が素晴らしかった。造幣局の通り抜けは花が3分咲きでまだまだだった。毘沙門堂から疎水に掛けての桜並木も本日が見…

霊園の営業も大変

墓地を買ったならば5年以内の建墓が規約にうたってあるものの、建てる気を亡くしたり高額な予算が決められなかったりで放ったらかしで雑草の生えた区画が随分と点在する。墓地を買ったならば速やかに整理をして建墓をすべきだ。分家で死者が無いのに仏壇を…

今日は何の日。

選挙の日ではあるが釈尊の誕生日である。投票を済ませて夙川の桜見物に出掛けた。3月開業のJRの駅ですら『さくら夙川』と言う駅名になるぐらい見事な桜であったが、人出でも比例して多かった。夜は開票結果を遅くまで見ていた。府議の一人が最高得票であ…

花見

学生時代に良く通った、焼きソバ屋の『おやじ』へ行ってみた。テレビでよく取り上げられているのでご他聞に漏れず横着な店の対応だ。なぜ人はもてはやされると横着になるのであろうか、お客様のお陰ですと言う態度が感じられない。花見のついでに焼餅屋へ行…

追加彫刻作業

30年来の付き合いの職人さんと二人で出掛けた。いずれも歳を取りすぎて累宝塔の笠石が外せない。施主の協力をいただいて完成をした。桜が満開だが風が強くて寒い一日になった。白川砂が敷き詰められているが、今となっては採取が禁じられている。白川砂を…

40年前の退院

昭和43年の4月3日に退院をした。3年間の療養生活であった。また学校へ戻れる喜びで一杯であった。病室から季節の移ろいを眺めていたが、今日からは自然と一緒に暮らしが出来るのかと感無量であった。しかしここまで肝臓で悩むとは思いもしなかった。そ…

応援弁士

統一地方選挙が始まっている。近くの会場で講演がある、私にも応援弁士の依頼を受けて出掛けた。話には慣れているが、選挙戦の応援となると勝手が違う。何かのお世話が出来てお役に立てる喜びは私も同じだ。見つけた天職を一生懸命に勤めている。