福原堂礎て何者?。

墓相を書き綴るページに、福原堂礎て何者と書かれていた。毒にもならない主張が書かれているとか、墓石の軸石を仏石とは呼ばないとか正しいお墓など無いと非難されている。私も29年間活動を続けてきているがまだまだ無名であることを知らされてショックであった。お墓のことを石屋で聞けばよいとかお寺で聞けばよいと言われているが実際お寺では何の指導もなされていない。宗教宗派に則して立てなさいと私の持論であるが、軸石にご本尊様を迎えればこそそこは仏石へと変生する、それが正しきお墓なのだ。寺院の非力な分野を補うことが私の責務である。かと言って易学や墓相や霊媒も無視できない、少しの味付けのように取り入れれば良い。墓相は取り入れれば良いが墓相に溺れてはならない、酒は呑むべし呑まれるべからずと同意である。そのページには墓相が非難されている、私も墓相は好きではないし易学もそうであるが、非難するためには墓相も易学も走破すればこそ非難も出来る、故に私は宗教たる教団の全てを知りえるために体験を積んだし易学の各流派や墓相や霊媒へも勉学を深めた、もちろん石材の体験や修行も会得している、各先生と言われる御仁がどれだけそれらに精通されているのか、物も知らずに非難は出来ない。