お焚き上げが出来ない

神社やお寺ではお焚き上げが必然であった。不要な御札や仏像の始末が出来ないので『お焚き上げ』と称した祝詞や読経のうちの焼却処分を行って来た。今は全く出来ないでいる。これらの宗教儀礼まで奪われてしまっている。結局は他のゴミと一緒に廃棄されてしまう様子は偲びがたい。墓石の後部に立てる板の卒塔婆もお焚き上げが出来なくなったお蔭で寺院の焼却処分が困難となっては宗教儀礼としての塔婆建立を寺院では嫌がっている。冬の季節感溢れていた落ち葉焚きもご法度となった。ダイオキシンと言う事とどれだけ関わっているのでしょうか?。宗教活動を狭窄な物としてしまっている。