歩く『禅』

税理士の先生宅へ寄って外へ出たら近所の長老と出会った。歳は90才で足腰を鍛える為に散歩に出ていると言う。自宅からは2kmの距離にある。少しボケているものの遠距離のお出掛けに感心してしまった。私などは往復4kmの距離など歩こうと言う気が湧かない。今度は家の近くで80歳の高齢者と会った。京都駅まで歩いて行くと言う、5km(往復10km)はある。四国巡礼に行かれたり、熊野詣に行くと言うとてつもない距離を歩く人がある。『禅』には座する禅と歩く禅とがある。私には座する事も動ずる事も苦手ではある。四国も熊野も若い人にさえ好評である。自然と一体になれる場所で座して瞑想にふけったり動じて無と結び付けたり、時間の余裕が見つけ出せない者には程遠い贅沢な空間かもしれない。日々の生活の中に代替の時間が設けられないものか。通勤途上にある駅前の神社や仏閣に少し早めに出掛けてみる。空気が違う、出会う人達が違う。今日を生きようとする気がみなぎって来るし、明日を生きようとする活力が滲み出てくる事を感得できる。無宗教と言う貴方もキット自然の懐の優しさに気が付く、生きているっと言う事が素晴らしい事に気が付く。