微罪が高じて大罪を生む

誰も見ていなければ何をしても構わない、自分だけ良ければそれでよい。何と自分勝手な風潮なのでしょうか。信号を守る人や自転車は皆無です。一度大きな道と交差している小さな道路にある信号を守る人が何人あるのか関心を持って見て頂きたい。小学生ぐらいな子供も幼児を乗せたお母さんも信号を守らないことが美徳であるが如くに平然として渡って行く。そう言う人を車がはねた場合、自分の非を棚に上げてわめきちらす輩がこれに値する、何ともはや悲しい限りである。たかが自転車の信号無視というなかれ、法律を無視する犯罪が意識ナシのうちに心に中に侵食されている。麻痺した心が大罪を起こす伏線となってしまう。子育て真っ最中の若きお母様が悪びれる事無く幼児を乗せて渡ってしまう、車が注意を促す警笛を鳴らしてもそちらへ目を向けようとさえしない、悪行三昧である。この子供はどういう大人になるのだろうか。学校で教える正しい横断の仕方とお母様が実行する横断の仕方に相違があることを。口うるさく説教まがいに教えなくても自転車の放置や車中の携帯電話の使用など充分判り合える社会にならないものなのか。道徳や倫理や宗教が教育現場から遠のいた今、どのような教育が学校で行われているのだろうか、子供にゆとりを教えてどうなったのか、宗教を離してどうなったのか。一年中が宗教行事や作法の中で生活しているだけに切っても切れない関係にある宗教道徳を見直すべきと思う。