お通夜と葬式

人の誕生や死亡は一年を問わない、今日かも知れないし明日かも知れない。結婚式に使用した略礼服で通夜も葬式も出掛ける。いずれも専用の会館で執り行われる昨今である。冠婚葬祭の祭事ごとがいたって簡素化されて来ている。遺族に声をかける機会が全く無い。祭壇と立礼の焼香場所に隔たりがある。感動を呼ばない単なる形式の葬式はいよいよ不要と言って追い立てられてしまう、もっともだと思うが、葬式を無用にしてはならない。一人の人の終焉のお別れの儀式であり浄土へ旅立つ出発の儀式である。長年苦楽を共にして来た人へ供養を手向ける厳粛な場を設ける必要がある。葬式無用とは挨拶もせずに帰るに似ている、発つ鳥あとを濁さず、今生の別れを執り行って欲しい。塩を玄関で振る行為は止めて欲しい、死者(ホトケ)に対して誠に無礼な行為である、死者が穢れと思うならば葬式に行かない事であるし止めれば良い。