仕事に誇りと責任を持つ

持って来たはずだが、ここへ来て疲れてきた。定年とはうまく言ったものだ。お寺や石材店の活動に疑問を深く感じて来たことが鬱積している。石材店も寺院の犠牲を強いられている。寺院は宗教離れによる経営困難によってか宗教法人から営利法人へ転回している。貧すれば鈍する、高額な回向供養料や戒名料や墓地墓石料を請求する余り、益々人心からかけ離れて凋落が進んでいる。仏法興隆を願って活動をしてきた我が身に自信がない。