亡き友と行った霧島
どうしても大浪池山へ行きたかった。
一番の親友の亡き友と、昭和44年の3月にリックサックを背負って九州一周のユースホステル使用の旅に出かけた。
霧島神宮をバスが出た頃に喧嘩をして大浪池登山口というバス停で私は一人飛び降りた。
闘病後の私にはしんどかったが1時間ほどで登り終えた。
素晴らしい光景だ、絶賛に値する驚愕の景色に目を見張った。
韓国岳、高千穂峰、新燃岳、遠く桜島、手前には不思議な青緑の大浪池。
しかし下山してからが大変だった。
バスも一日2本で歩かざるを得ない。思い切ってヒッチハイクを試みたが停まってくれる由もナイ。
キツイ昇りをフラフラになって4キロを歩き通した。
一番登りきった所のえびの高原で彼がこちらを向いて待っている姿が眼に入った。
彼は言った「疲れたやろ!、黒ビールが回復に良いし呑め、トンカツを食べたら元気が出るゾ。」と励ましてくれた。
大浪池山は新燃岳の噴火活動の影響で入山禁止だった。
黒ビールを飲んだレストランも休んでいた。
しかし、友達と二人で歩いたえびの高原が懐かしく思い出された。