悪戯な住職の商法

親鸞聖人は鎌倉時代の貴族社会を否定され、大きな寺院を造営しなくても南無阿彌陀佛と称える場所がお寺であると説かれた。他の宗派と違っていたって金銭で悩ます宗派ではない。私は聞いた、鐘楼を建てるのに100万円を寄付するようにと、それは厚志ではなく強制である。お父様の法名院号を付けるのに100万円の請求があった、お母様の時は払うお金が無いので断ったら寄付として100万円を納めるようにと言われた。墓石を建てる場合は協力金として100万円を払はなければ許可が下りない。浄土真宗では立てない大きな卒塔婆を立てさせている。施主は障害者であり細々と生活されておられるこの家庭から何百万を請求する寺院て許されるのか。