新しい形の墓石

墓石も進化して行く。
宗教性が全く無くなっている。
寺はノンキな者で、全く危機感を持っていない。
足元をすくわれている事に気が付いていない滑稽さ。
もしくは、ドンドン檀家が食い荒らされて新興宗教へ走っている。
合祀墓・散骨・無宗教・坊主不要・戒名不要・仏壇墓石不要、それがまるで文化人のように、野火の様に蔓延している。
あからさまに、そう言う非人間的行為を堂々と謳う人も出て来ている。
地に堕ちた、親子関係、夫婦関係、
亭主や姑とは一緒に墓へ入りたくないとおっしゃる。
目新しい墓石も、数年経過をすると、何でこんな形を立てたのだろうかと気が付く。
墓石は、先祖も入り、私も使い、子孫も使用する。
であるならば、貴方の代だけの勝手な都合でトッピモ無い石を立てると必ず後悔をする。
先祖連綿と継続する維持する姿こそ京都の街に学ぶべきだ。