母を見舞いに行きました

母は93歳です。老人福祉施設に入っています。JRの駅から山へ昇る事20分掛かります。母は耳が全く聞こえない他はまだまだ元気です。見舞いに行くことを大変喜んでくれます。開口一番は「柿持って来てくれたか?」です、柿が好きなのです。母をこの様に全く耳が聞こえなくなったのは私のせいです。昭和40年の17歳のときに私は結核で入院をしました。食を受け付けずにやせ細って少しうつ病に掛かったのでしょうか、母を悩ます事となって精神的な負担を掛けての中途失聴です。青春時代の3年間が私の青春時代であり闘病生活であったのです。毎日母には大変お世話になりました、食事の世話や排便の世話も。今はこうして母への恩返しに勤めなければなりません。すっかりボケて可愛くなってしまいました。明治生まれで戦争を体験し子供も5人育ててきて今は幸せだと言うことが口癖です。父母や祖父母が信仰に熱心でしたお陰で私も一生懸命に今の仕事を全うしています。先祖の血が私の身体の中を流れているのです、先祖が居たから私が居るのです、一番近い先祖がこの母なのです。先祖孝行と言う言葉が何か遠い感じならばこの母への報恩感謝こそが先祖孝行になるのです。

第10回平安仏教学術大会が種智院大学で開催されました。毎年比叡山と交互で開催されています。関西大学の藤善真澄教授の基調講演の後を種智院大学の高橋・橋本・中村各先生と、比叡山の木村・高山・荒槙各先生の研究発表がありました。大勢の先生方が日夜ご研鑚である真摯な姿勢に胸を打たれるのですが、最後にご挨拶なさいました比叡山の坂本先生のお言葉が非常に印象的でした。「活かされる仏教でありたい」、正にその通で形骸化した仏教には何の魅力もないわけで、日常に生きて活かされる仏教でなければなりません。市民の足元に降りて来る仏の教えの布教伝道でありたいものです。困難な仏の教えを平易に説く研究も当然でありますが、人が生を受ければ必ず死を迎えるところの墓地墓石の研究を宗教大学で実践して頂けないものなのでしょうか、国民の密接した死の学問を葬式から仏壇墓地墓石法事に至る総合的終焉の学問の形成が待たれます。お墓が全く無視され続けている不思議を痛感しています。昨今では伝統の行事の意味を知らずに、単にお葬式やお墓を無用とする考えが文化人的と錯誤する人が増えています。人間は迎えて終わりではありません、「END」ではなくて「AND」の世界なのです。終わりのエンドではなくて続きのあるアンドの世界が続くのです。お墓は仏や先祖様のみを迎える器ではなくて私も子孫も使用する現世の浄土なのです。