船を見送る

子供の頃に船に乗った記憶がある。6歳ぐらいで弟が大変ぐずった記憶だ。関西汽船の『こがね』、その他にさくら丸やふじ丸があった。今の1万トンクラスではなくて小さな客船だった。子供心に船内を探検することが大変興味があって楽しかった。2等船内はいつも満員で大勢の人でごった返していたが、今と違って多くの大人は優しくて親切だった。ドラの響きで出発する船は哀愁をおび、別れのテープが水面に尾を引いていた。桟橋から聞こえる蛍の光は大変悲しい曲であった。人は出会って別れる、一期一会とはよく言ったものだ、何気ない触れ合いの中で人間としての生き様がある。私は生きてきた、生きて来てのお別れは必要ではないのか。また、故人を偲んで思いにはせ、出会った事を感謝しての別れの場が必要ではないのか。それは『END』ではない『AND』ではないのか。死んで終わりではなくて『AND』ヘ続いて行くものなのではないのだろうか。葬式⇒法事⇒仏壇⇒墓地⇒墓石と供養の段階を得て成仏が叶うのである。