15歳の凶行

成長期における親や世間への反抗期は誰にだってある。この子が特異でも親の育て方が悪かったものでもない。我が家でもそうだし私自身だってそのような道を歩んできた。何回かの反抗期を過ごして大人へなって行くものだ。大変難しい時期でもあるしどの親も当惑が隠せない。しかし太古の昔から人間はその時期をやり越えて来たものである。現在における環境を考えるとき、誕生から結婚や死亡に至る人生の全てが、疎外感の中での競争論理である速度の早いベルトコンベア‐に乗せられているからには、心の深さや広さを持ち合わせる余裕さえ失せてしまっている。先祖や親のかかわりや先輩や目上の人のかかわりを持たない人達からすれば、報恩や感謝や御蔭などの言葉は死語になっている。道徳や倫理や宗教等を教えてこなかった教育のツケが今になって噴出しているのである。注意を受ける事を知らない者が注意を受けてはキレる、教えを受ける事を良しとしない人が教えを受けて逆恨みを持つ、充分に育たなかった人が大人に成って今度は子供を育てる側に廻ってくる、それでは次代は育たない。公衆道徳が完全に欠落した今を生きる我々が一体何が出来るのか、私は私の分野で一生懸命に後世に残せる正しいお墓を1基1基と建て続ける事が責務となっている。罪を犯したけれども、反省を踏まえて立ち直る事が第一である。小さな出来事でも先ずは謝ると言う事が第一であるが日常の中で謝らずに黙って通り過ぎる人が多い事がこのような大きな事案へと進んで行く。仏壇を持って、お墓を持つ、常に報恩感謝のある家庭には非行が避けて通り過ぎてくれる。