療養の友

青春時代の3年間を山の療養所で過ごした。孤独な毎日を癒してくれたのはラジオと書物であった。食べれない歩けない状況は憂鬱な連続でしかなかった。何と言っても桜井長一郎の物真似が面白かったし、春団枝の落語が唯一の笑いの元であった。ポップスベスト10のビートルズの赤丸上昇に一喜一憂をしていた、ヘルプやペニレインは病魔も退散させてくれる勢いを感じていた。桂米朝の水曜日のゴールデン○○(ラジオ京都)の衣笠山の狸坊やや堀川の赤蛙には笑い転げていた。織田信長上杉謙信の戦記物を読破したしゴッホの孤独な生涯に感動しながら読み終えた。私の孤独な療養生活と重ねてみていた。信長が『謡曲敦盛』を謡いながら僅かな手勢で今川群を撃破する事が、人生50年と診断された私とオーバーラップした。一枚の絵も売れることが無かった生前のゴッホの苦悩が同感できた。諦めることなく生涯を全うする気力や、誰からも評価されなくても一生懸命生きようとする思いを頂いた。話し掛けることの少ない息子が「ビートルズのCD録音して車に置いておいたで」と言ってくれた。好きな私の為に録音してくれた嬉しさよりも、息子が同じビートルズを好きになってくれたことが嬉しい。