中心の宗教と脇の信仰

21年前に熱心な浄土真宗門徒さんに指導をしてお墓を建てられた人がある。風の便りに、私の指導をした墓石を解体されて、他の指導を受けて浄土真宗には無い五輪塔地蔵尊のお墓を建てられたと聞いていた。その人から久し振りに電話があって「福原先生の指導でお墓を建てたら不幸続きであったが、他の指導で五輪塔地蔵尊墓を建てたら幸運続きである」と言われた、浄土真宗ではあってはならない五輪塔を立てて良いという考えは真言宗天台宗など他宗派の考えであって絶対に門徒としては許されない、まして福原の指導で不幸が続くと言われては穏やかではない。しかし、よくよく話を聞いてみると誤解が解けてきた。この人の信仰は別にあって弁天宗の信仰をお持ちである。家の先祖としての柱の信仰である浄土真宗も大切にしておられるが別の支柱として個人の信仰である弁天宗も大事になさっておられる。従って弁天宗教義に則して五輪塔を建てられたそうだ。本来は一軒の内に中心の柱の信仰があってそれに順じて勧められるがこのお話のように脇の信仰を持たれる人も多い。家の信仰が浄土真宗で個人の脇の信仰が霊友会となると困ってしまう、南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経の二種の念仏と題目になってしまう。中心の信仰さえ見誤らなければ脇の強力な信仰を持たれても構わない。