お墓を否定は出来ない

お墓を否定したり関心の薄い人が増えている。詩に感心したと言う人の詩を聞いてみると「人が死ぬとお墓に居るのではなく風に吹かれた天に居る」何とロマンチックな詩なのでしょうか。人が死ぬと二つの道程がある。一つは本心である『魂』の行き先である極楽への往生であり、一つは借り物の肉体の返還である母なる浄土(聖地である墓地)へである。葬式不要であれば生前のお世話に成った人へのお別れも無いままとなるし生前の葬式を奨励する人たちは、それは葬式とは別問題の感謝への気持ちの表しようである、一つの感謝祭と言うべきである。死者の借り物の残りの違灰の海や山への散骨は余りに軽視しすぎである。自然へ還ったと納得するのは散骨を主催した人のみであって多くは迷惑な行為としてしか受け止められない。葬式や墓地墓石や仏壇に関する研鑚の深い人達が皆無であるだけに迷走を深めるばかりであって解決策を講じる機関が無い。色んな商売や窓口があっても事お墓となると誰一人答えを持つ人がいない、全く不思議であってしようがない。人は生まれて死んで行く。