納骨式

禅宗のお家であるから沢山の般若心経を書写されての納骨式が岐阜であった。立派なお墓が堂々と立ち上がった。いくらお金を掛けてもそれは石の価格でしかありえない、お墓の価値は写経を何枚書写して納めたかにかかってくる。そして家宗旨の教えに則する事であるから、単なる看板の福原家之墓では全くの無意味である。石材店が儲かって喜ぶお墓ではなく、亡き故人の満足する仏のお家造りでなければなりません。御斎(会食)では、故人を偲び話が和やかであった。私もこのお家の皆様とは25年のお付き合いである。大勢のお孫さんが御参りに来てくれてさぞかし亡きおじいさんも大喜びであったでしょう。