インド研修3日目

第三日目10月15日月曜日
今回のインド訪問の目的は『釈尊の墓参』にあります。
いよいよ胸躍るお釈迦様のお墓への御参りが叶う時がやって来ました。
バスの中で、御参りの次第を解説させて頂きました。
良く晴れたサンチの丘に釈尊のお墓である第一スツーパと第3スツーパが見えました。
念願のスツーパを前にして涙も溢れます。
阿育王の建立した二千年の供養塔が目の前なのです。
土饅頭型ですが、八角で囲まれています。
進入の関係で北門から読経供養を勤める事にしました。
導師を福原が勤めます。
三礼、懺悔文、発願文、開経偈、般若心経、観経文、宝号、回向文、念佛、念仏回向偈を全員で読誦しました。
続いて、京都と長野から持参の洒水の儀を執り行い、全員で塔前に手向けました。
多くの参拝者が何事かと我々の厳修作法を見守っておられました。
続いて東門へ回って、渡辺様が導師を勤め、南門では石本様が、西門では大竹さまが勤めて一周しました。
南門から遶道へ上がり時計回りに二巡します。
右遶三匝と言いまして、右回りに三度巡拝するのですが、下で一巡しましてので遶道二巡すれば三度巡礼した事になります。
建立されて2200年ほど経ちますこの塔に、多くの善男善女が巡拝されたであろうこの道を我々もかみしめながら廻りました。
四門の彫刻の解説をして頂き、今さらながら人類の見事な世界遺産に驚愕の連続で有りました。
菩提樹やスツーパ供養、仏伝などの物語彫刻が見事です。
柔らかそうな砂岩が2000年も風化摩耗する事無く残されている事が不思議です。
作務衣を着て輪袈裟をする私の服装が珍しいのか、大勢の人が一緒に写真撮影を願って群がって来ます。
驚きました、次から次と乞われるのです。
まるで映画俳優気取りです。
「何処から来たのか?」「有名な僧侶なのか?」と矢継ぎ早な質問です。
すっかり、日印民間交流が出来ました。
インドの人は温かく親切です。
子供たちも賢そうで礼儀正しくて清潔です(此処に居た子のみ)。
直ぐ傍には第3塔が立っています(第2塔は少し離れる)。
この塔中から舎利弗と目犍連の遺骨が発見されています(釈尊の遺骨は未発見)。
塔門の彫刻は立派に尽きるが、肝心なのはドーム型をした『覆鉢』なのです。
これがお釈迦様のお墓の本体なのです。
この呼称のスツーパが漢訳されて卒塔婆となり簡略されて塔婆とか塔と言われた語源なのです。
又お釈迦様を表す物としてこのスツーパが付け加えられているのが三重塔や五重塔の相輪部分の覆鉢なのです。
墓地で見る、相輪の覆鉢の欠落した宝篋印塔や多宝塔を見るにつけ、間違って施工を済ませて平気で恥知らずな業界の改善を強く願っているのです。
お釈迦さまをお迎えしなければならない仏塔ですから、覆鉢あればこそ成り立つものなのです。
近くになおかつサンチと同じ時期に建てられて近年発見され修復が完成したスツパが有ると言う事で車を
乗り換えて難路を進みました。ジャングルの中に忽然と現れた仏塔群です。
サダーラ仏塔群です。
そのうちの一基が特に巨大ですが、旧来の塔に新しき煉瓦で囲まれていますので綺麗と言えば綺麗ですが、
やはり、取って付けた感は否めません。
インド全国にこう言ったスツーパが84千立てられていた事なのでしょう。
未開のジャングルの中からこのような仏塔が発見される事もありましょう。
ボパールからブザワールまでは23両連結の寝台列車での移動です。
列車内ではアルコールは禁止ですが、
駅弁を、誰かが持ち込んだお酒で宴会です。
車掌が通るたびに隠しています。
明日のアジャンタ石窟訪問の為の田舎のホテルです、
真夜中の25時にチェックインです。