正しいお墓の建て方が霧散

お寺の本来の姿が霧散。
永代供養って、永代の供養の事、永代って供養が出来るのですか?。
美辞でごまかさない!。
夫婦に子供がいない、じゃ~永代供養をお願いする。
建墓をすればもったいないので永代供養をお願いする。
永代供養もタダではない。
お寺は、そうして墓地を売らなくても経営がやっていける。
散骨、自然葬、美しい言葉が続くが、故人を仏と見ずに物として見るからそう言った遺棄も出来てしまう。
どう言葉を繕っても廃棄なのです。
子供に世話を掛けたくない、親への孝行が不要な世話に成るのだろうか?。
墓じまいって言ってお墓を無しにしてしまう。
ご先祖が子孫の為に建てたお墓を潰す行為が信じられない。
また、そう仕向ける寺院や石材店が信じられない。
そう言った流れが、人間廃業の世間を産み出している。
親が子を思い子が親を思う、先祖は子孫の為に子孫は先祖の為に、交流が途切れる形態を、どう阻止すればよいのか?。
お墓こそが流れのバトンの役目を担っている。
もう、無茶苦茶な人間社会に堕落してしまっている。
正しいお墓で供養をしたいと言う人はおられませんか?。