お墓は記念碑ではない

お墓は手を合わせるものであって記念碑ではない。供養を及ぼす布施の気持ちに満ち満ちている。お墓は立てても立てなくても、どんな形であっても構わないと人が言う。原始の時代はそうであった、釈尊も形には捉われておられない。2500年前がそうだと言ってそれを現在にも引用するのか。それ以降の日本民族の醸し出して来た歴史を今の葬式も仏壇も墓石も有している。お墓の形や建て方が形成されて来て当たり前、それが人類の進化である。お墓はモニュメントではない、仮にそう言う形で立てても信仰や思想の表現を忘れてはならない。