崩壊した仏塔遺跡

パーラー王朝時代の崩壊した仏塔遺跡を拝見した。
肝心な箇所である塔の先端が崩壊しているので仏塔なのか祠堂なのかが不明と説明された。
私は仏塔と拝見したが。
今後の発掘や研究が待たれる。
特徴ある、十字型の中央にスツーパが有る形状を見た事が無いだけに感心がある。
そういった形は日本へはやって来ていない。
かの国では仏教が壊滅をし時の為政者達によって破壊されただけに後を偲ぶ術が無い。
最近ではバーミヤの遺跡が爆破されたが、痛恨の極みだ。
塔を中心に祀る考えは日本でも同じであった。
しかし不思議な事は正門を北に向けている事だ、
日本は南へ向けるのだが、
何か意味が有るのだろうか??。