お墓は不要?

お墓を不要と言う人が居る。
何と言う親不孝者か、何と言う先祖不幸者なのか。
自分の事のみを考えるならば先祖も不要親も不要お墓も不要になる。
自分中心の自分のみの考えであるならば。
人間は自分のこの空間のみで良いのではない。
とてつもない長い悠久の時間が有って私が生まれ、
そしてとてつもない悠久の時間へ流して行かなければならないのです。
その一つのバトン走者であるのです。
天文学的な時間を経過して私が今居ると言う事を考えるならば、
その天文学的な宇宙的な人がこの血の中に居ると思うと先祖への感謝と恩義を思って当然な事なのです。
その先祖へ感謝をする、仏に成られた先祖への恩に報いる。
目の前にあった親こそが一番手前の身近な先祖で有った訳です。
親へも感謝孝行を通じてその上の祖父母やその上の悠久の先祖や仏へ感謝する心が人間として生まれて来た限りは必要であって全うして逝かなければならない筈です。
それは『END』ではなくて『AND』の世界であって、
死して終わりではなくて続いて行くのです、ANDの世界が在るのです。