お墓を立てる話

高齢者がお墓を建てる話しをしだすと、決まって若い息子が反対をする。
墓に高額を使用するよりも、家を直したり息子の大学受験費に当てたり、車を買ったりの趣向品や贅沢品に行ってしまいがちだ。
どうしても墓石は後回しされがちだ。
先祖からの催促が無いし、何が正しくて悪いのかも判らないのでツイツイどうでも良いように思われてしまう。
お墓は如何に大切な物なのか、催促が無くても推測する事は可能だ。
墓石は、先祖も入り、当代も入り、子孫も入る、大事な聖殿なのです。
千の風になってと言うクダラナイ歌が流行って廃れて行ったが、お墓は今も昔も永遠に残って行く。
墓石に亡き人が居ないのではない、誤解をした歌は価値が無い。
魂は仏国土へ行って仏になり(往生 成仏)、亡骸(遺骨)を墓の土へ還したはずだ、墓には借り物の肉体が納められているので有って何もそこに居ないと言う話ではない、有るのです。
親の為にお墓は建てて上げなければなりませんし、子孫の為にも一系の納まっている柱は必要なのです。