墓塔への納経
墓塔へは必ず家宗旨に添った写経が奉納してなければなりません。
仏塔を見ると『大乗妙典奉納』とか『宝篋印陀羅尼経奉納』とか書かれていて、仏典を奉納した事が示されている。
お墓への墓塔にも写経奉納は必須である。
お経の納められていないお墓はクリープを入れないコーヒーに等しくて欠陥なる墓石と言われても仕方がありません。
此処に五輪塔と位牌墓と地蔵尊墓が立てられていて、そこへ肝心要の写経奉納に出掛けて行きました。
真言宗のお家ですから沢山の般若心経を書かれています。
最後に書くのは宛名書きのみであって書いた人の名前を書いてはなりませんし他の願い事を書くのもいけません。
願う事は唯一つ、亡き人の菩提や供養のみを願うのです。
書いた人の名前を書けば、自分への利益を求めた事となってしまいます。
『為(故人の戒名)供養』とのみ書きます、
また、『為(◎◎家先祖代々)供養』とします。
ビニールや金属の筒に入れないで裸のままで土へ溶けて行くように納めます。
姑と一緒のお墓に入りたくない
何とかなりませんでしょうか?。
貴女が大好きな夫を産んで育てて下さった大事な母親では有りませんか。
生みの母親と息子の関係ってそれはそれは切り難き関係なのです。
同姓であるが故の嫉妬を何とか埋めるべきです。
姑とは一緒のお墓に入りたくないと言いますが、では貴女のご遺骨をどうする事が希望なのですか?。
①舅姑とは別の墓石を立てる、
②実家のお墓へ納める。
1の、別のお墓を立てれば、その後の継承はどなたがするのですか?。
石屋が喜ぶだけで、子孫の大迷惑。
2の、実家のお墓へ納めるって、何時まで実家が実家たるとお思いですか?、
嫁いで来ている嫁も居て、もう既に貴女の天下では有りません。
姑と嫁の諍いを無くす苦労なくして家族の関係は生まれません。
姑ばかりが悪いのでは有りません、
貴女の姿勢、反省って有りませんでしょうか?。
宝篋印塔
皇室のお墓としての宝篋印塔、武家のお墓としての五輪塔。
明治以降の平等の時代と成って我々でも立てられるようになった。
墓地でも多数の宝篋印塔が立てられているが、
どうして、コレモあれも間違った欠陥の塔が立っているのか?。
石屋も寺も反省をしなければ成りません。
塔の意味も理解をせず、右へ倣え式で間違った塔を手本にして立ててしまうからトンでもない宝篋印塔のコピーが立ち並ぶ。
今一度、宝篋印塔の塔の上に在る相輪を見てほしい。
上から、宝珠→受花→九輪→請花→伏鉢→露盤、までが仏塔の一つである『相輪塔』と呼ぶ仏塔なのです。
でなければならないのに、ナゼ一番肝心なお釈迦様の舎利塔を顕す『伏鉢(覆鉢)』が付いていないのか??。
恥ずかしい欠陥の石造物のある中で正しくて力あふれる宝篋印塔の有るお家の位牌墓が立ち聳えた。
お墓を立てる話
墓に高額を使用するよりも、家を直したり息子の大学受験費に当てたり、車を買ったりの趣向品や贅沢品に行ってしまいがちだ。
どうしても墓石は後回しされがちだ。
先祖からの催促が無いし、何が正しくて悪いのかも判らないのでツイツイどうでも良いように思われてしまう。
お墓は如何に大切な物なのか、催促が無くても推測する事は可能だ。
墓石は、先祖も入り、当代も入り、子孫も入る、大事な聖殿なのです。
千の風になってと言うクダラナイ歌が流行って廃れて行ったが、お墓は今も昔も永遠に残って行く。
墓石に亡き人が居ないのではない、誤解をした歌は価値が無い。
魂は仏国土へ行って仏になり(往生 成仏)、亡骸(遺骨)を墓の土へ還したはずだ、墓には借り物の肉体が納められているので有って何もそこに居ないと言う話ではない、有るのです。
親の為にお墓は建てて上げなければなりませんし、子孫の為にも一系の納まっている柱は必要なのです。