お墓の石

庵治石であろうが小松石であろうが、それは墓石という媒体であって石の差で貴賎や善悪が発生する物ではありません。
地球から採れた材料を使用して墓塔に生まれ変えなければなりません。
石と言う材料を使って、正しく手を合わせてお祀りをし供養の出来る仏像なる墓石を表現するのです。
材料よりか、正しくご本尊様をお迎えしてご先祖様をその仏石へお迎えし篤き供養を施しているのかに神経を使うべきです。
中国材でも安価な石でも石は石でしかなく、表現次第で値打ちの有り無しに分別されます。
石の買物ではありません、どんな石でも同じなのです。
そこに正しく表現をして、単なる石を仏像へ変化させる事こそ肝心なのです。
お金を掛けて福原家之墓であるならば、無意味で無駄な出費をしたのみであって、
結論に達しておりません。
同じ石を使って南無阿彌陀佛とするだけの事なのですが、そこには雲泥の差があるのです。